現実に起こった非現実の話。

今日は真面目なお話をします。とっても長くなります。そんな話は嫌だったり中には思い出したく無い記憶の方もいるかも知れません。ここから先を読むのは自由です。今日だけです。

 

 

 

 

 

 

 

さて、本日3月11日。忘れもしない東日本大震災が起きてしまった日から9年が経ちました。

僕が住んでいる福岡では、地震による影響はほとんど無く、ニュースで流れている情報でしか東北の情報は得られませんでした。ですがハッキリとあの日のことは思い出せます。

 

2011年3月11日、僕は高校2年生でした。

あの日は金曜日で、授業が終わり部活に向かうと後輩が「東北で地震が起きたらしいですよ」と言ってきました。

「へぇ、そうなんだ」くらいの感覚で僕は自分の携帯でテレビをつけ(当時はまだガラケーワンセグテレビがありました)軽い気持ちでチャンネルを切り替えニュースを見ました。

テレビの向こうではヘルメットを被るキャスターの人、飛び交うスタッフの叫び声、とても同じ日本とは思えない東北の光景、初めてリアルタイムで見た津波。唖然としていたのを覚えています。

家に帰ってもテレビの全てのチャンネルが地震のニュース。1秒足りとも途切れることなく何日も何日も続きました。

 

見る度に動悸がして、腹痛を起こしてトイレに引きこもる日々でした。

というのも「地震が少ない」と言われていた福岡でも2005年3月に発生した「福岡西方沖地震」で、地震の脅威に怯える日々を経験していたからです。今思うといわゆるPTSDと呼ばれる症状だったのかも知れません。

 

3月11日から1週間程が経って被災地のことが詳しく情報として流れるようになった時。さらに衝撃を受けました。

たったの何日かで何千人という方が亡くなられてしまったこと(現時点では1万6千人弱)津波で流されて行方不明になっている方。

「遺体が見つかるだけ幸せだ」とまで言われていました。

家が流されて家に帰れず避難所で何日も過ごす方、救助に向かう自衛隊、大火災が起きている街、雪が降りしきる中、跡形もなく流されてしまった町で行方不明の家族を探し続ける方、見つかったと思った家族がもう帰ってこないとわかった方。

胸を突き刺すような情報が時間が経てば経つほど増えていきます。

学校でも全校集会が行われました。「今自分達に出来ることを」担任の先生は僕達に目に涙を浮かべ話してくれました。

担任の先生は自分に出来ることはないかと、被災地の避難所で暮らす方を少しでも安全な九州で、面倒を見れないのかと福岡県と政府に提案書を提出する程の熱意でした。

その提案の行方はわかりませんが内閣府から直接先生に電話があり「あなたのご提案しっかりと検討させていただきます、本当にありがとうございます」という旨のお返事を頂いたそうです。

 

自分に出来ること、募金くらいしか出来ない自分が悲しいなと思っていました。

そんな日々が過ぎて7月、僕の高校野球生活は終了しました。高校野球プロ野球でも節電のために照明を少なくしたり、試合に時間制限を設ける特別ルールなど震災関係のニュースは流れてきます。

夏休みが始まり、暇を持て余していたある日、祖母が一言僕に呟きました。

 

「あんた、東北に行ってきたら?」

 

僕はこれだ、と思いました。引退して日は経ったけど体はまだ動く、これしかない!と思いました。

 

しかし現実は厳しく、福岡から東北まで1人でボランティアに行く高校生を面倒見てくれる人はいませんでした。

ボランティア団体に所属していないと責任を取れる場所がないこと、1人で17歳の高校生が被災地に出向くこと、保険のことお金のこと宿泊はアクセスは、そもそもどこに行けばボランティアさせて貰えるのか、ボランティアは勝手には出来ないこと。

どこに問い合わせても同じでした。

押し付けられた現実や知らないことが多すぎて、ボランティアは夢に終わりました。悔しかったです。

担任の先生にこの話をすると、先生も阪神淡路大震災の時に同じような理由で断られた経験があったそうです。

 

 

あれから9年が経ちましたが、まだ避難所で暮らす方は4万人ほどいます、ここ数ヶ月でやっと立ち入りが許可された町があります、まだ立ち入りが制限されている地域があります、行方不明になった家族を今も探し続けている方がいます。まだなにも終わってません。

Yahooで3.11と検索すれば1人10円の寄付がされます。検索するだけです。お暇があれば皆様してみてください。

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数年前のYahooの3.11特設ページで載せられていた動画が今も忘れられないのですが、

1分20秒の東北の街並みが写された短い動画の中で

「もしも2011年3月11日が、いつもの1日だったとしたら、これほどの悲しみはなかっただろう、これほどの涙はなかっただろう。もしも2011年3月11日がいつもの1日だったとしたら、そばにいる人をこんなに大切に想うことはなかっただろう、日常をこんなに愛しく思うことはなかっただろう」

というナレーションがあったんですが、これ見た時大号泣してしまって、今でも忘れられない動画です。

 

まだ僕達に出来ることがきっとあるはずです、東北に限らず熊本にも。

何かしたいと思えるだけでそれはすごいことだと思います。

 

長くなってすみませんでした。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

 

では。